岬麻紀議員の離婚して旦那(夫)がいない理由はなぜか【世界的なイベントが原因か】

岬麻紀議員の離婚して旦那(夫)がいない理由はなぜか【世界的なイベントが原因か】

日本維新の会の岬麻紀議員が経歴詐称をしていたことが発覚して大きな話題を集めています。

報道の中で岬麻紀さんの本名は「小出麻紀」さんということも記載されており、「離婚をしており旦那(夫)がいないのでは?」と疑問に思う人もいるようです。

実は岬麻紀議員は離婚していることが判明しているのですが、この記事ではなぜ離婚して旦那(夫)がいないのかを、離婚当時の岬麻紀議員の活動内容を踏まえて紹介していきます。

調べてみると岬麻紀議員は離婚前後に世界的なイベントに参加しており、それが原因ではないかと考察しています。

岬麻紀議員は離婚しており旦那(夫)がいない

まず、岬麻紀議員が離婚しており旦那(夫)がいないことを紹介していきます。
岬麻紀議員の公式ホームページを拝見すると、次のような記述を確認することができました。

シングルマザーで日々奮闘しながら息子二人とも成人となり社会人として送り出せました。

岬麻紀公式HPより

この記述より岬麻紀議員は旦那(夫)がおらず、女で一つで息子さん2人を育てたことがわかります。

また、離婚した時期は2020年の岬麻紀議員のブログの一文から推測することができます。

男の子二人を育て上げて、シングルマザーとして働きながら一日一日を走り抜けてきた四半世紀

維新女性局より

四半世紀ということは25年ですので、岬麻紀議員は1995年前後に旦那(夫)と離婚していることになります。

岬麻紀議員が今後更迭される可能性について解説した記事もありますので、ぜひご覧ください!

それでは、岬麻紀議員は離婚した1995年付近でどのような活動をしていたのかを踏まえて、離婚して旦那(夫)がいない理由を解説していきます。

岬麻紀議員の離婚して旦那(夫)がいない理由はなぜか

岬麻紀議員が離婚して旦那(夫)がいない理由は様々な憶測ができますが、1つの可能性として「多忙」が原因だったことが挙げられます。

岬麻紀議員の1995年付近の主な活動を調べると、1994年に三重県で行われた「世界祝祭博覧会」において、真珠で有名なミキモト展示場でナレータを務めていました。
また、1995年には「花フェスタ’95ぎふ」にて中部電力のブースでナレータもしています。

特に1994年に行われた世界祝祭博覧会の開会式には秋篠宮さまが出席されており、日本が世界の人々を招いて行われた世界的なイベントです。
世界祝祭博覧会が開催された期間は7月下旬から11月上旬までと3ヶ月間以上も開催されており、岬麻紀議員は長期間「世界祝祭博覧会」の仕事に追われていたはずです。

また、ミキモトは1899年の老舗で、その真珠は世界的に評価を受けている日本を代表する企業の1つです。
このような条件を踏まえると、世界祝祭博覧会において岬麻紀議員は当時かなりのプレッシャーの中で生活をしており、多忙を極めていたことが想像できます。

また、岬麻紀議員はナレーターの仕事をする前は名古屋大学付属病院にて副医院長秘書を務めており、旦那(夫)とはそこで出会った可能性があります。
もしも岬麻紀議員の旦那(夫)が病院の関係者であればお互い忙しすぎたため、夫婦の間に溝ができてしまった、というのは可能性として十分考えられます。

【まとめ】岬麻紀議員の離婚理由はなぜか

今回は岬麻紀議員の離婚について解説しました。

岬麻紀議員は公式サイトやブログにもシングルマザーで息子2人を育て上げたことを公表しており、旦那(夫)がいないことがわかっています。

また、岬麻紀議員が離婚した理由は1995年前後に大規模な国際的なイベントのナレーターとして活動をしており、かなり多忙だったことが原因として挙げられます。

離婚した旦那(夫)は、経歴詐称した岬麻紀議員を現在どのような気持ちで見ているのか、おせっかいにも気にならずにはいられません。