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野田聖子は養女だった?養子縁組の政策と関係あるの?

衆議院議員で自民党の野田聖子さんが女性初の内閣総理大臣に最も近いと言われています。

野田聖子さんは障害をもった子供もおり、議員の仕事と子育ての両立は大変そうですよね!

そんな野田聖子さん、養女だったという噂があるのですが本当でしょうか?

そこで今回は野田聖子さんが養女だったのかを解説していきます。

また、野田聖子さんが特別養子縁組に力を入れていた理由についても紹介していきます。

野田聖子は養女だった?

結論から言うと、野田聖子さんは養女でした。

この話は少し複雑なので時系列にまとめてみました。

「野田聖子」になるまで

  • 野田聖子の実父・野田稔誕生。祖父は野田卯一。
  • 野田稔が野田聖子の曾祖父・島徳蔵の養子に。野田稔は「島稔」になる。
  • 「島聖子」(野田聖子)誕生
  • 島聖子、野田卯一の養子に。島聖子は「野田聖子」になる。

野田聖子さんは政治家で彼女の祖父・野田卯一(のだういち)の養子になったことで、名字が「野田」になったようです。

祖父・野田卯一の養女になった理由は、野田家に跡継ぎがいなかったからです。

野田聖子さんの父親の名前は島稔(しまみのる)なので、野田聖子さんは最初「島聖子」だったんですね。

野田卯一と野田聖子さんの関係は祖父と孫なのに、養子になるなんて変な感じですよね。

家系図

しかし、実は野田家にはさらに秘密がありました。

野田聖子さんの父親である島稔は、なんと野田卯一の実の一人息子です。つまり、島稔は最初「野田稔」として生まれています。

野田稔が「島」姓になった理由は、彼が野田聖子さんの曾祖父・島徳蔵(しまとくぞう)の養子になっているからです。

つまり、そもそも一人息子の島稔が養子に出されず「野田稔」のままだったなら、野田聖子さんは養女にならなくても「野田聖子」だったんですね。

何だかややこしい話です(笑)

特別養子縁組の政策と関係あるの?

野田聖子さんは、2006年頃から特別養子縁組制度(他人の子供を養子として迎える制度)の普及に取り組んでいましたのですが、これは自身が養子だったことが関係するのでしょうか。

 

野田聖子さんの話を総括すると、自身が養子だったこととは関係ないようです。

野田聖子さんが特別養子縁組の制度復旧に取り組むきっかけになったのは、不妊治療をしていても子供ができないときに、養子縁組を断られてショックを受けたからです。

理由は、議員という多忙な野田聖子さんの職業や当時の45歳という年齢でした。

ちなみに特別養子縁組制度は1988年にスタートした制度ですが、2000年に入ってからもその認知度は低く、あまり活用されてきませんでした。

そうしたことも野田聖子さんが特別養子縁組を断られた背景にあるのかもしれません。

それに奮起した野田聖子さんは、特別養子縁組の制度の普及活動を始めます。

そのような活動の甲斐もあり、近年(2018年)の養子縁組の成立件数は、10年前に比べて1.5倍以上になりました。

まとめ

今回は野田聖子さんが養女だったかについて解説をしてきました。

まとめると

  • 野田聖子さんは養女だった
  • もともとは「島聖子」
  • 特別養子縁組の制度は自身が養子だったことは関係ない

ということがわかりましたね。

何やら複雑な野田家でしたが、当時は跡継ぎいない場合は、親戚の養子になることは珍しいことではなかったようですね。