吉川赳(たける)議員が議員辞職した後の公認候補だった木造燿子さんの経歴についてまとめました。
自民党でも吉川赳議員の辞職が叫ばれており、代わりとなる後釜候補を調査すると20代の伸びしろバツグンの女性であることが判明したのですが…
そんな吉川赳議員の後任候補となっていた木造燿子さんの経歴をWikipediaの代わりにお伝えしていきます。
吉川赳議員が行方不明となりしばらく経ちます。
そこで、どこに行ったのかを吉川赳議員に関する報道を追いかけて、下記記事にまとめました。
ぜひご覧ください!
吉川赳(たける)議員の後任・木造燿子の経歴をwiki風まとめ!
まず、吉川赳(たける)議員の後任である、木造燿子(きづくりようこ)さんがの顔画像はコチラになります▼
吉川赳議員が議員辞職となった場合は、裕福な生活が約束されているのはご存じでしょうか?
実は吉川赳議員の親兄弟は静岡県では「財閥」のような存在でした…
木造燿子さんは衆議院選挙があった2021年11月次点で29歳でしたので、1992年生まれであると思われます。
さらに、木造燿子さんが衆議院選挙に出馬されたときのプロフィールを確認すると、出身大学は東海学院大学であることがわかります。
木造燿子さんの出身大学である東海学院大学は、岐阜県各務原市にある私立大学です。
東海学院大学は健康福祉学部と人間関係学部の2学部があり、偏差値は大手予備校の河合塾によると偏差値は35となっています。
木造燿子さんは東海学院大学を卒業後、ウェブデザインの会社員として勤務されていますが、東海学院大学人間関係学部ではスキルアップ資格として情報処理士の資格取得を目指せるカリキュラムがあるようなので、おそらく人間関係学部出身ではないかと考えられます。
また、木造燿子さんは会社に勤務しながら「大森会計塾」で会計について学んでいたようです。
木造燿子さんのツイッターアカウントは先程紹介したとおり閉鎖済みですが、グーグル検索してみると、このように過去の情報の一部を閲覧することができました。
「大森会計塾」では様々な年齢の方が企業の決算書などを読めるように、会計学を学ぶ場となっています。
政治家を志す木造燿子さんは、会計を学び政治家になるためのスキルを磨いていたのかもしれません。
その後野田聖子議員の推薦もあり2021年の衆議院選挙に出馬するも惜しくも落選。
今回、木造燿子さんは吉川赳議員の後任となり、繰り上げ当選となるはずでしたが、報道のとおりどこかに消えてしまいました…
木造燿子さんのスキャンダルがついに明らかになりました。
正直「これくらいで繰り上げ当選を辞退する?」というレベルなので、今回の件は裏がありそうです…
詳細は下記記事をご覧ください!
オススメ記事:木造燿子スキャンダル内容を特定!繰り上げ辞退に黒幕の存在の噂も…【何をした】
また、木造燿子さんが自民党公認になれたのは野田聖子議員の推薦があったからです。
調査すると野田聖子議員には、どうしても木造燿子さんを推薦したかった深いワケがありました…
木造燿子が吉川赳(たける)議員の後任候補となる理由
吉川赳(たける)議員は東海ブロックの比例代表で当選した議員ですので、議員辞職した場合、2021年に行われた比例ブロックで、次点の人(落選した中で一番順位が高かった人)が繰り上げ当選します。
そして、実際に2021年に行われた衆議院選挙の東海ブロックの比例選挙の結果を見てみると、ご覧のとおり、木造燿子さんが次点であることが確認できます。
週刊文春には2022年6月17日に比例名簿から除名する届け出が木造燿子さんから提出されたとありますが、実は6月10日にはすでにツイッターのアカウントが削除されており、かなり前の段階から木造燿子さんは国会議員になる気はなかったと言えます。
せっかく国会議員になれるチャンスがあったのにたいへん惜しいことをされましたが、衆議院選挙が終わってから期間も空いていましたし、木造燿子さんもまさかこんなことになるとは思っていなかったのかもしれません。
吉川赳議員も公認候補だった木造燿子さんも雲隠れする異常な事態となっていますが、一刻も早くスッキリさせていただきたいものです。
吉川赳議員はスキャンダル前から評判はよくありませんでした。
それは小選挙区で1度も細野豪志議員に勝てなかったからです。
そんな吉川赳議員は「ミスター大惨敗」など言われていたのですが、評判を下記記事にまとめました。
ぜひ読んでみてください!
【まとめ】吉川赳(たける)議員の後任は誰?木造燿子の経歴をwiki風まとめ!
今回は吉川赳(たける)議員の後任候補だった木造燿子さんの経歴をWikipediaの代わりにまとめました。
木造燿子さんの経歴を調査すると会社員として働きながら会計を学ぶなど、非常に努力家で何より20代の若者でしたが、都合により繰り上げ当選を断念してしまったようです。
若かっただけに期待できる人物だったのですが、次の公認候補の方にはぜひ頑張っていただきたいものです。